トルコギキョウ -Eustoma-
世界が変わるきっかけは、ほんとうに些細な事。
昨日までコンプレックスでしかなかった左手が特別な物に見える。
好きな人に認められたらそれだけで変わるんだ。
何て単純な俺の乙女的思考。
*****
「本当にいいのか。転校する事もできるんだぞ?」
昨日から通算56回目のザンザスの言葉。
それに笑い返して平気だと告げた
軽くメイクしたから目元の赤みは消えている。対策としてボタン付きの手袋を嵌めれば、御曹司は溜息を吐いた。
「学校はそんなに楽しい場所なのか」
「違うっての。俺負けず嫌いだから、逃げ出すような事したくねぇんだよ」
「…お前はそんなに強い人間じゃない」
「そうかもなぁ。でももう泣かないって約束したし」
そうだ、もう泣かない事にした。俺が泣いたら優しい婚約者は自分を責めてしまうから。
手早く制服のネクタイを締めて、鞄を手に持つ。
行ってくると告げて部屋から出ようとすれば袖を掴まれた。
「屈め」
「何だよ……っっ!」
「…お守りだ」
頬に触れたのは柔らかい唇。
驚いてザンザスを見れば耳まで真っ赤にしている。
それに愛おしさが溢れ出して、お返しにと俺は額に唇を落とした。
「仕事、頑張れよぉ」
「わかってる」
恥ずかしくて逃げるように部屋から出れば、後ろを付いて来たルッスーリアに、せめて二人きりの時にだけして欲しいと注意されてしまった。
「新婚家庭も真っ青ね」
「ほっとけぇ!」
*****
今までと状況が変わるだろうと思っていたら案の定だった。
学校に着くなり向けられる視線。好奇の目。噂話。
俺は内心で溜息を吐き、それらを振り払うように教室へと向かった。
中に入れば途端にそこは静まり返る。
その中を自分の席に向かおうとすれば、後ろから腕を掴まれた。
「ごめん。ちょっといい?」
「ディーノ…」
酷く困惑した表情のディーノに、そういえば昨日何の説明もしないで帰ってしまった事を思い出す。
幼馴染のコイツは手の事を知っていたが、ザンザスの事は話していなかった。
誤解を招くより先に説明してしまったほうが早い。
そう決めた俺はHRをサボる事に決め、ディーノと一緒に屋上へと向かう。
重い鉄の扉を開ければ青空が広がっている。
昼寝をするには良さそうだと考えていれば、突然幼馴染に謝られた。
「ごめんスクアーロ…」
「何で謝るんだよ」
「だって俺がアイツにプリント取られなければ…」
「なっちまった事は仕方ねぇだろ。気にしてねぇよ」
そう言ってやればディーノの大きな瞳からボロボロと涙が零れ落ちる。
呆れて溜息をついてハンカチで顔を拭ってやれば、涙声でまた謝られた。
全く、これじゃあ俺の婚約者の方が余程しっかりしている。どちらが年上かわからない。
というか事あるごとにザンザスを思い出している。
お守りの効果絶大だなと考えていれば、ディーノが不思議そうに首を傾げた。
「スク、何か良い事あった?」
「良いことっつーか……あのな、内緒なんだけど」
その時俺はどんな顔をしてディーノに今までの事を伝えたのかわからなかった。
多分余程しまりの無い顔をしていたに違いない。
幼馴染はといえば、やはり驚いて固まっていた。
「ここっこここ婚約っ!?」
「おう」
「しかもボンゴレってあのボンゴレ!?」
「知ってんのか?」
「ウチと取引してるし…ってそこの御曹司ってまだ子供じゃ…」
「うん、10歳」
「スク騙されてない!?」
肩を掴まれてガクガクと揺さぶられる。
幼馴染の驚きっぷりに、やはり普通の反応はこうなんだろうなと、何故か俺は冷静に捉えていた。
確かにザンザスはまだ子供だ。
でも、それでも…
「しょうがねぇじゃん。好きなんだから」
「スクアーロ…」
きっとわかってもらうのは難しいに違いない。
でも自分の気持ちに嘘はつけないから、これでいいんだ。
目の前の幼馴染に笑ってやれば何とも言えない顔をしている。泣き出す一歩手前のような顔。
どうしたんだと首を傾げれば、俺の思考を遮るようにチャイムが鳴り響いた。
二人で教室に戻る途中、俺は良い事を思いつく。
「ディーノ、今日ウチに遊びに来いよ」
「え!?」
「そーだ、昨日迷惑かけたから野球部も誘おう」
良い考えだ、と一人で決めて教室へと戻る俺は、ディーノが困り果てて立ち尽くしていた事に気付かなかった。
その当時の俺はディーノと野球部が俺に好意を寄せていてくれるのを知らなかった。
それを知るのは大分経ってからの事になる。
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